こんにちは。一般社団法人ドーピング0会です。
2024年11月14日、私たちドーピング0会の内部交流イベントとして、「ドーピングはなぜいけないのか?」をテーマにした意見交換会を開催しました。
今回は飲食を交えながらざっくばらんに語り合うスタイルでの交流会ということもあり、堅苦しくなく、それでいて非常に濃密な時間を共有することができました。
難しいからこそ語りたい「ドーピングはいけない理由」
「ドーピングはいけないことだ」
この前提を掲げているのが、私たちドーピング0会です。
しかしその一方で、「なぜいけないのか?」と改めて問われると、言葉に詰まってしまう——そんな経験がある方も多いのではないでしょうか。
スポーツのルール違反だから?
倫理的に間違っているから?
健康を害する可能性があるから?
社会的信用を失うから?
実はこの問いは、シンプルなようでいて、非常に奥が深いテーマです。
そして今回は、あえてその“答えのない問い”に、参加者それぞれが真剣に向き合う時間となりました。
多様な職種が集う、まさに“0会らしい”会場
今回の交流会を支えてくださったのは、龍谷大学アスレティックトレーナーの森嶋さんと、交流部部長の稲垣さんです。準備から当日の進行までおふたりのご尽力により、あたたかく実りある場となりました。
参加されたメンバーも実に多様でした:
- 看護師
- 整形外科医
- アスレティックトレーナー(AT)
- 薬剤師(大学教授、製薬企業勤務、安全性管理、サプリメント開発)
これこそがドーピング0会の強みであり、“らしさ”でもあります。
それぞれが違う視点と専門性を持っているからこそ、「なぜいけないのか」という問いへのアプローチにも幅が生まれ、気づきの多い対話が生まれました。
「ドーピングはなぜいけないのか?」という哲学的な問い
当日のやりとりの中で特に印象的だったのは、「スポーツとは何か?」「人間の努力とは何か?」といった根源的な問いに自然と向き合っていたことです。
「フェアであるからこそスポーツに感動できる」
「ドーピングは勝利の価値を根本から壊してしまう」
「そもそも努力とは、時間と苦労を積み重ねること。薬でショートカットしてしまうと“プロセスの美しさ”が損なわれる」
中には、「それでもパフォーマンスが見たいという視聴者側のニーズとどう折り合いをつけるか?」という、現代スポーツが抱える二面性にも触れる声もあり、非常に高度で本質的な対話が生まれました。
結論のない問いだからこそ、“語る”ことに意味がある
「正解はない」——これは、私たちがこの交流会を通じて実感した共通認識です。
けれども、正解がないからこそ、考え続け、語り続けることが大切なのです。
むしろ、「なぜドーピングはいけないのか?」という問いを、一人で抱えるのではなく、多職種の仲間とともに共有しながら考えること自体が、ドーピング0会の存在意義ではないかとすら感じられました。
今後に向けて——対話する文化を育てたい
今回のような形式での交流会は、ドーピング0会としても初の試みでしたが、手ごたえは十分にありました。
参加された方からは:
「普段話す機会のない他職種の意見に触れられて新鮮だった」
「気軽な雰囲気の中で真面目な話ができるのが良かった」
「一方的な学びではなく、双方向の対話ができたのが嬉しい」
といった声が寄せられており、今後もこのような“問いを囲む対話の場”を定期的に開催していく価値があると確信しています。
最後に
このたびの交流会を企画・準備してくださった森嶋さん、稲垣さん、本当にありがとうございました。
そして参加してくださった皆さま、お疲れさまでした。
私たちが「ドーピング0」を掲げる以上、この問いから逃げることはできません。
だからこそ、語り合い、問い続ける文化をこれからも育てていきたいと思います。
「なぜドーピングはいけないのか?」——
ぜひ、次回はあなたの声も聞かせてください。